南港とは? of 南港の団地

南港ポートタウンをご存知ですか?

◆ 居住区としての南港

ポートタウン全景WTC展望台より望むポートタウン全景
どこに人が住んでいるの?

大阪市住之江区南港には、「ポートタウン」という団地・マンションが密集するエリアがある。
住民からすると意外という他無いのだが、それは他地域の人にあまり知られていなかったりする。

南港という地名自体は、関西ではよく知られている方だと思う。
しかし、南港に住んでいると言うと、「え?南港って人が住めるところなの?」という答えが返ってくることが本当に多い。
それはつまり、南港には「人が住んでいない」というイメージがあることを意味する。
そもそも南港は、人工の埋立地であり、埠頭の周辺にコンテナ倉庫が立ち並ぶ貿易港としての表の顔を持つ。
第3セクターとして有名なATCは「アジア太平洋トレードセンター」であり、WTCは「ワールドトレードセンター」、つまりどちらも本来貿易に関連付けられた施設である。他に南港と言えば、コンサート会場のZepp大阪、催事会場であるインテックス大阪(国際見本市会場)がよく知られている。
あと、「南港に沈めたろか」という表現も、関西では怖い人が恫喝に使う文句として半ば様式化していると言ってよいぐらい知名度がある。
つまり、埋立地・貿易港・ATCとWTC・Zepp大阪・インテックス大阪・「南港に沈めたろか」…という知名度のあるファクターには、居住地のイメージがない。(実際に居住地ではないし…)
故に、南港に住んでいると言うと驚かれることが多いのだと、僕は推察している。
それにしても、大阪市営交通局の路線図には、「ポートタウン東」と「ポートタウン西」の両駅がしっかり載っているというのに…。それらですら居住地ではないと捉えられがちなのか、はたまた単にその両駅も知名度が低いというだけのことなのか…。
南港地域の居住地
ともあれ、南港にはたくさんの人が住んでいる。

主な居住エリアは、
①コスモスクエア駅周辺エリア
②南港口駅周辺エリア
③南港ポートタウン
である。
コスモスクエア駅周辺エリアは、ここ数年の間に造成された新興居住地で、タワーマンションがあるが、居住エリアとしての規模はまだ小さい。
南港口駅周辺エリアは、昭和40年代築の公団・市営・厚生年金の団地群で構成され、南港で最も古い居住エリアである。(一戸建て住宅の有無については、僕はまだ未確認です。)
このエリアは、ポートタウンとは地理的に離れているので、敢えて区別することにするが、おそらく住民も別々の地域だという認識を持つ人が多いことと思う。


◆ ポートタウンの規模

WTCよりポートタウンを望むどんだけ~?

ポートタウンは、咲洲(さきしま)という人工島にあり、面積約100ha、主に昭和50年代築の公団・市営・市公社・民間の賃貸・分譲団地・マンション群で構成されている。千里ニュータウンの面積が約1160haだから、ニュータウンとしての規模はこじんまりとしていると言えそうだ。
ポートタウンの現在の人口は約3万人で約1万世帯(計画人口は4万人)、小学校が4つ、中学校が2つ、高校が1つ、大学が1つあることからも、近隣住区理論に基づいて設計された、れっきとした町と言えると思う。
(2008年11月の27日の某巨大掲示板「南港(住之江区)総合スレッド26」では、人口約2万6千人、約9600世帯、約50棟の高層住宅街というデータが掲載されている)


◆ 歩車分離と外周緑道

ポートタウンの外周緑道①外周緑道は散歩にもってこい
外界と隔絶された別天地

僕が思うポートタウンの最大の特徴は、都市計画の当初から歩車分離方式を採用していることである。
つまり、原則としてポートタウン内に、自動車が入ることはできない。ポートタウン内全域は原則ノーカーゾーンなのである。(但し、許可を受けた業務車両・緊急車両は通行できる)そして、これほどのノーカーゾーンプロジェクトが継続して維持されているのは、全国でもこのポートタウンのみである。
そして、ポートタウンの周囲には、輪郭を縁取るように小高く堤防然とした緑豊かな遊歩道が巡らされている(このサイトでは「外周緑道」と定義する)。googleの航空写真で見ると、緑の帯(外周緑道)で縁取られているのがくっきりと見える。
ポートタウン衛星画像②くっきりと緑で縁取られている外周緑道の土手③小高く築かれた土塁の上に樹木が植えられ、道が通っている。
車が通行する幹線道路(ポートタウンの外側・外周)からは、小高い外周緑道に遮られてポートタウン内の様子があまり見えない。つまり、ポートタウンは、外周緑道によって外界から半ば隔絶された別天地なのである。(外周緑道はポートタウンの周囲を完全に一周しているわけではない)
写真③は、ポートタウンの内周、つまり外周緑道の内側である。


◆ 静穏かつ清浄

ポートタウンのクスノキ
静かで空気がキレイ

ポートタウン内は、駐車場がなく、車の通行が制限されているため、外界と比べてかなり静かで排気ガスも少ない。(但し、幹線道路に近いエリアでは、最近はかなり減ったものの、暴走族の騒音が度々ある)
また、外周緑道が堤防のように小高くなっている上に、背の高い樹木が植えられているため、外側の幹線道路からの排気ガスが或る程度遮断されているとも考えられる。外周緑道は、都市設計の段階で、トラックの行き交う幹線道路や港湾施設群と住環境との緩衝地帯の目的を持って作られたのだと思う。
ちなみに、住民用の駐車場は、ポートタウンの外側に十分なスペースが確保されている。


◆ 緑が多いぞー

南港地区公園の向かい側
実は野鳥も結構多いですぞ

ポートタウン内は、緑が豊かである。
外周緑道の緑だけでなく、各団地・マンション敷地内や公園の植栽も、緑の豊かさを構成する大切なファクターである。千里や泉北のような他の広大なニュータウンに比べて住棟の密集度が高いにも関わらず、オープンスペースを上手く利用して、公園・緑地帯・市民菜園などが作られている。
場所によっては、森の中から幾つもの高層住棟がニョキニョキと生えているように見えたりもする。
春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉、と風光明媚と言っても過言ではないと、僕は思っている。
ポートタウンの中央を貫くケヤキ並木は、5月と11月がそれぞれ新緑と紅葉で見事である。
あと、意外にも野鳥が多かったりもする。地理的に渡り鳥の中継地でもあって、冬には人工の池や川にカモが飛来して、春先まで滞在してくれる。その他、小鳥の類いも、ヒヨドリ・ムクドリ・モズ・メジロ・カワラヒワ・ツバメ・シジュウカラなどが飛来・生息している。(ハト・スズメ・カラスも当然いるけどねw)


◆ ごみは空気でチューブの中を運ばれる

南港のダストシュートこれがダストシュート(地元ではごみピットとも呼ばれる)
まるでSF!

ポートタウンでダストシュートといえば、この「ごみ空気輸送システム」である。
昭和30年代の公団住宅に見られたような不衛生なダストシュートとは、一味も二味もちがーう!のである。
それではどう違うのか、「ごみ空気輸送システム」でのゴミの流れを説明しよう。
まず、各住棟の各階共有スペース(大体エレベータホールの裏手)や屋外に設けられたダストシュートに、ゴミを投入する。

投入口に入る大きさなら、燃えるゴミをいつでも投入OKだ!但し、折り曲げたダンボールやサイズぎりぎりの発泡スチロールは配管を詰まらせるのでNG、つまり、粗大・不燃ゴミ以外はゴミ出しの日に縛られることがないのである。投入されたゴミは、地下貯留排出ドラムを経てポートタウン外のデポまで地下管を通って空気輸送されるのだー!まるで昔のSF小説に出てくる未来都市のようである。
ちなみに、この「ごみ空気輸送システム」を日本で初めて採用したのは、森之宮第2市街地住宅と我が南港ポートタウンである。
だがしかし。SFだー!と浮かれてばかりはいられない問題点もあるので、それについてはまた別の稿で触れようと思う。


◆そして最後に「住棟の魅力」

レトロフューチャーな南港の団地
~昭和50年代団地の近未来マッシブ指向デザイン~

まあ、団地愛好家として僕が一番言いたいのが、この要素なわけで。
団地というものは、築年代によって外観の特徴が分かれるのだが、その基礎となっているのは、昭和30年代に端を発する日本住宅公団が供給してきた団地住棟の設計・デザインである。
昭和30年代の典型的な住棟は、団地愛好家の間で羊羹型と言われる箱型の4~5階建て中層住棟である。
昭和40年代になると、9~14階建ての高層住棟が全国を席巻するのだが、まだこの頃の住棟デザインは、独特な味を醸しつつも素朴で武骨なものが多かったのである。
ところが昭和50年代に入ると、公団であれ民間であれ、一気に弾けだしたかのように多様なデザインの高層住棟が建てられるようになり、この年代が団地からマンションへの過渡期だったのではないかというのが、僕の認識である。
昭和60年代~平成元年以降は、公団(旧住宅都市整備公団・現UR都市再生機構)でさえ、いわゆる今風のエレガントなマンションを建てるようになっている。
そして、我がポートタウンの各住棟は、公団であれ民間であれ、昭和50年代団地の特色を色濃く有している。(昭和60~61年築のものもあるが、特徴としては昭和50年代的だと思う・・・)
ツインコリダー・スキップフロア・渡り廊下といった昭和50年代以前からあった要素をより洗練させ、優美で未来的な印象を醸しつつも、最近のお洒落なマンションにはないマッシブさを持ち合わせているのだと僕は思っていて、そこに強く惹かれるのである。